なんとなく

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嬉しい

久しぶりの新譜発売前にMVが公開された「生きているよりマシさ」。
以下とても個人的な感想で、曲解釈とかの類ではないです。こう聴いたら前より好きになったという話で、論理の飛躍どころか論理がないので。読むのはあまりお勧めしません。まあでも日記なので。



この曲を初めて聴いた時、すごく違和感があった。「生還」を五十嵐隆名義とすれば、シロップとして本当に久しぶりの新曲、変わっていて当たり前ではあるのだけれど。
引きこもりのような生活をしているとうなずけそうな言葉が並んでいて、まるで「あるあるネタ」のような浅さを感じた。ツイッターで、シロップらしい、とか、五十嵐らしい、みたいな言葉を見かけたのだけれど全然そうは思えなかった。確かにネガティブな言葉や思考が歌われていて、一般的なシロップのイメージにはあってるのかもしれない。でも今まで「死んでいる方が マシさ 生きているより マシさ」みたいなことは歌ってこなかったと個人的には思うし、「たまに人と視線合うと キョドっちまうよね」「もう君と話すには 俺はショボ過ぎて」みたいな言葉の使い方はしてこなかったはず。別にネガティブな言葉を使っているからシロップが好きなわけではない。こういう一見ださい言葉を選べるのはある意味年を重ねたからなのかもしれないけれど。そんなこともあって、シロップっぽいなにか、と感じてしまったんだと思う。ただ、「もう君と話すには〜」からの部分(Cメロ?ブリッジ?)はメロの良さと「戸惑いの奥にある 強い不信感を はね除ける 力が残ってたらいいのに」という歌詞が好きだった。
曲単体でなく背景も考慮して聴いてしまっていたので、歌詞はまるで五十嵐さんが音楽生活をしていない間の引きこもり生活のように聴こえた。「ほとぼりが冷めたら また奮起して やり直せるなんて 甘いこと考えてた」なんてまさにシロップや犬の解散後のことのよう。それに引っ張られて、「君と居られたのが 嬉しい」からの部分はメンバー、特に今では多数のバンドのサポートをする中畑さんの事のように思えてしまった。でも実はここでの「君」なんてのはどうでも良くて、勝手に好きな人物やもの・ことを当てはめてしまえばいいと思ってる。普通に聴けば大事な人との別れのように思えるだろうし。ただどうしても「死んでいる方が マシさ 生きているより マシさ」が受け入れられなかった。
きっかけはなんだったか、インタビュー読んだこととか、私生活のことの複合的なものなんだろう。この曲って「君と居られたのが 嬉しい」のとこが言いたくて他の大部分があるんでは、と思った。つまり、自分からは積極的に人に会わず、波風立てず目立たないように過ごしていると、人に傷つけられることもなく、自分の醜い部分を見ることもない。そうなると辛いことも悲しいこともなくなるし、嬉しいことも楽しいこともない平坦な、無感動な生活になる。それこそが「死んでいる方が マシさ 生きているより マシさ」のような状態。死にたいとかじゃなくて、それくらい何もない日々だということ。ただ、「君」という存在に関しては、「嬉しい」とか「寂しい」のように感情が動いて、自分にそう言う気持ちが残っていたことを思い出す。これを言うために、AメロBメロの描写やサビが必要になる。そんな風に思ったら以前よりもこの曲を好きになれた。いやでも結局タイトルは「生きているよりマシさ」だろ、と言われたらそうですねと言うしかない。
というのが8月28日に思ったことらしいので記録として。